一年前、長く付き合いのある友人に「少し変だな」と感じることがありました。
でも、その現実を受け入れるのが怖くて、私は目をつぶりました。
看護師として“分かっていたはずのこと”を、
一人の人間としては信じたくなかったのです。
――その気づきの先にあったのは、“支える”という言葉の本当の意味。
awabotaで学んだことが、私の心を静かに変えていきました。
一年前の違和感
それは何気ない日常の中で訪れました。
長く親しくしている友人とお茶をしていたとき、
会話の途中でふと、同じ話を何度も繰り返すようになったのです。
「前にも話したかしら?」と彼女は笑って言いました。
私は「そうね、もう一回聞かせて」と答えながら、
心の奥で“少し違うな”という小さな不安を覚えました。
それでも自分に言い聞かせました。
「疲れているだけ」「年齢のせいかもしれない」――。
看護師としての経験が、“もしかして”という思いを呼び起こしましたが、
それを認めるのが怖くて、私は心の目を閉じました。
信じたくない気持ち
それから少しずつ違和感は増えていきました。
約束を忘れたり、話が途切れたり。
でも私は「そんなこと誰にでもある」と笑いながら流しました。
頭では分かっていました。
これは“うっかり”ではないかもしれない。
でも、もしそれを認めてしまったら、
長年の関係が変わってしまうようで、怖かったのです。
「まさか、あの人が」
「そんなはずない」
――信じたくない。
その思いが強くて、私は見ないふりをしていました。
看護師としての“理解”よりも、
友人としての“祈り”を優先したのだと思います。
awabotaでの気づき
そんな時期に、awabotaでの学びが始まりました。
コミュニティでは、年齢も立場も関係なく、
お互いの違いを受け止め合う雰囲気があります。
「現実を変えるより、受け止め方を変えることの方が、
ずっと大きな一歩になるかもしれません。」
その言葉を聞いたとき、胸の奥がざわっとしました。
私はずっと「現実を見たくない」と思っていたけれど、
それは“受け止め方を変える勇気”がなかっただけなのだと気づいたのです。
awabotaの仲間たちは、
誰かの弱さや迷いを否定せず、ただ静かに見守る。
紗代ちゃんの柔らかな言葉、みいたくさんの落ち着いた態度。
その姿から、“寄り添う”という優しさの形を感じました。
「目をつぶること」と「そっと見守ること」は違う。
awabotaで過ごすうちに、
その違いが少しずつ心の中で分かるようになっていきました。
現実と向き合う勇気
季節が変わる頃、友人と再び会いました。
寒い日でしたが、彼女は明るい色のマフラーを首に巻き、
いつものように笑顔で迎えてくれました。
会話の途中で、彼女は少し言葉を探すように黙りました。
私は静かに待ちました。
そして――彼女がゆっくりと私の名前を呼んでくれたのです。
その瞬間、胸が熱くなりました。
「ああ、まだ覚えてくれている」
その一言が、どれほど嬉しかったか。
記憶は少しずつ薄れていくかもしれない。
けれど、“心のつながり”は確かに残っている。
そのことを、私は彼女の声で教えられました。
名前を呼ばれるたびに思います。
それは「覚えている」だけではなく、
「信頼している」ということなのだと。
awabotaで出会った仲間たちが、
人は“記憶”ではなく、“想い”でつながっている――
互いに名前を呼び合い、尊重し合う姿を思い出しました。
その事実が、私の心に温かく灯りをともしました。
話せない気持ち
この出来事について、私はまだかずくんには話していません。
秘密にしているわけではなく、
自分の中でゆっくりと整理しているところだからです。
awabotaで過ごす時間は、
いつも明るく前向きで、希望に満ちています。
だからこそ、この話を持ち出す勇気がまだ出ないのかもしれません。
けれど不思議と、話せないままでも孤独ではありません。
awabotaには、「話せない気持ち」をそのまま受け止めてくれる空気があります。
かずくんの言葉、紗代ちゃんやみいたくさんの支え、
そして仲間たちの優しいまなざし――
そのすべてが、私の中で「いつか話せるかもしれない」という
静かな希望に変わっていきました。
寄り添うということ
今では、焦らずに彼女のペースに合わせるようになりました。
同じ話を何度聞いても、「そうだったね」と笑って受け止める。
それだけで、彼女の表情がふっと柔らかくなるのです。
awabotaで学んだ“支える力”とは、
相手を変えることではなく、
“そのままを受け入れること”。
かずくんが挑戦を続け、
紗代ちゃんやみいたくさんがその挑戦を支えるように、
私もこの現実の中で“支える側”としての優しさを取り戻しています。
否定から始まった優しさ
振り返ると、あのとき「信じたくない」と思った気持ちは、
冷たさではなく“愛情”の一部でした。
変わらない関係を願う気持ちが、
私を一時的に現実から遠ざけていたのです。
でも今は思います。
受け入れることもまた、愛の形。
awabotaで出会った人たちが教えてくれた
“受け止める優しさ”が、私の中にも育っています。
まとめ ― 記憶が薄れても、心はつながっている
あの日、「変かな」と思ってから一年。
私は多くの感情と向き合ってきました。
不安、悲しみ、そして気づき。
awabotaで出会った人たちとの時間が、
私の“受け止め方”を優しく変えてくれました。
友人は今も、私の名前を覚えています。
それは、記憶ではなく“想い”として残っているのだと思います。
そして私も、彼女の笑顔を忘れません。
記憶が薄れても、優しさは消えない。
思い出せなくなっても、心は覚えている。
そのことを、私はawabotaで学びました。
そして今も、“ヨーリー”として、
誰かをそっと支える優しさを大切にしています。
ミニCTA
もし今、大切な人の変化に戸惑っている方がいたら――
焦らず、否定せず、ただ一緒にいてください。

